
写真が培ってきた技術は、こんにち人命を左右するものとしての存在感が強まっています。カメラメーカーは医療器具の分野を進歩させ、レントゲン、CT、MRI、内視鏡など新たなモデルを製造しています。実際にカメラメーカーの稼ぎ頭はヘルスケア分野であり、ちょっとした病院にいけば、キヤノンやニコン、富士フィルム、オリンパス、ツァイスのロゴを見かけることができるでしょう。
一方、写真機は、撮っても医療機器のように問題を浮かび上がらせることはできません。しかし、人の表情は「生」の証拠であり、人間の尊厳をカメラは引き出すことができます。カメラで人生そのものをとらえ残していく職業をカメラマンというのだと考えており、私は長年にわたってスマホより何倍も大きなレンズで皆さんの貴重な時間を使って「生きていること」を撮影してきました。
昨今特に得意な分野として90歳近くにもなる曾祖父母世代の撮影があげられます。ファインダー越しに彼彼女らを見ると、私の頭の中ではまるでAIで作ったストーリーのように、焼野原の中歯を食いしばって生きた戦後、奇しくも就職して生き生きしていた若き日の姿が見えてきます。写真は大正生まれの人でも知っている機械です。写真撮影をするならばと、化粧をする、服を着替える、眼鏡をはめてくると言ってくれる、そのような撮影現場で私は写真という分野が活躍する世界は無限にある気がします。
さて、20年前に現像されたフィルムの確認から始まったアシスタント時代から、カメラがデジタルになった今でも古風な創造の仕方は変わらず、年齢も40歳になりました。しかし不思議なことに、年々美しい撮影スタイルのアイディアが降りてきて、それを撮影で生かせるように妻に話を聞いてもらい、自分でメモを取ったりしています。東京に居なければ写真では食べていけないと有名な占い師「原宿の母」に言われたのですが、今でも福岡佐賀で新たなイメージングを広げていることは、幸運なのかもしれません。

- 1984年
- 佐賀県旧佐賀郡生まれ 田園が広がる家で教員だった祖母と多くの時を過ごす
- 1990年
- 佐賀郡久保田町立思斉小学校に入学 小学4年生の時初めて福岡に行く
- 1996年
- 佐賀郡久保田町立思斉中学校に入学 英語弁論での全国大会出場など
- 2000年
- 佐賀県立致遠館高等学校普通科英語コースに入学 清々しいほど馬鹿一直線な生活
- 2005年
- 青山学院大学経済学部第二部経済学科に入学 撮影で多忙な日々
- 2011年
- 同校卒業 すでに26歳になる 翌年妻と結婚
- 2003年
- 福岡県福岡市城南区鳥飼に転居 ドトールコーヒーショップ新天町店にてアルバイト
- 2003年
- ドトールを辞め改めて大学受験勉強を始める
- 2004年
- 佐賀郡富士町の熊の川温泉にある親戚の家にて宅浪
- 2005年
- 東京都大田区蒲田に転居 佐賀駅から普通電車を乗り継ぎ東京に到着
- 2005年
- モスバーガー梅屋敷店にてアルバイト ライスバーガー担当
- 2005年
- 社団法人共同通信社政治部にて学生アルバイト 電話受け・国会記者会館の掃除など
- 2006年
- 株式会社佐藤写真(本店:帝国ホテル東京写真室)にアシスタントカメラマン(無給)として採用、ホテル日航東京写真室(現ヒルトン東京お台場)に配属
- 2006年
- 無印良品サンカマタ店にてアルバイト
- 2006年
- 東京23区、川崎、横浜の各地にある学校写真の写真館と業務委託契約しカメラマンとして活動 入学式・卒業式・運動会・遠足・修学旅行など
- 2007年
- 株式会社佐藤写真に業務委託契約による正規のカメラマンとして勤務
- 2008年
- 東京都世田谷区用賀に転居
- 2008年
- 国際連合大学図書館にボランティア勤務 国際連合・アメリカ大使館主催の講演会など多数撮影
- 2008年
- Motoko Workshop2008に参加 写真家Motoko氏や写真評論家のタカザワケンジ氏・ライターの阿部謙一氏らによる作品批評を一年受ける 青山一丁目にあるKanzanにて合同写真展
- 2009年
- 新卒として株式会社文藝春秋に就職活動するも不採用
- 2010年
- 撮影多忙につき青山学院を2年間留年する
- 2010年
- 就職活動で知り合った文藝春秋編集長のお子様の家庭教師をする
- 2010年
- 年間の撮影件数が130件を超えるようになる
- 2011年
- 青山学院卒業 東日本大震災により卒業式中止
- 2011年
- 東京都品川区大井町に転居
- 2011年
- 株式会社ニコンに勤務 大井製作所第一品証部にてD7000系一眼レフの品質保証を担当
- 2012年
- 東京都目黒区出身の妻と結婚 品川区東大井の東芝病院にて息子が生まれる
- 2012年
- 家族で佐賀に越す 写真のカメラマンとしては鳴かず飛ばずで初めて路頭に迷う
- 2013年
- 日本放送協会佐賀支局に勤務 有期雇用のディレクターとして多数のバラエティ・ドキュメント番組を制作 下部に別記詳細あり
- 2014年
- 野村證券株式会社に転職 ファイナンシャルアドバイザー課在籍 日本証券業協会証券外務員一種などを取得 下部に別途詳細あり
- 2016年
- 野村證券株式会社を退社 カメラマンとしての活動を再開 佐賀県伊万里市にて結婚式の撮影を数年行う
- 2018年
- アシスタントだった妻が日本放送協会営業部に有期雇用のスタッフとして勤務
- 2021年
- 「ていがくのさつえい」の商品開発
- 2021年
- 「ていがくのさつえい」として佐賀市内のサービス付き高齢者向け住宅の撮影を始める
- 2022年
- 同調システムが電磁波式のストロボを導入 屋内・屋外ともに画期的に撮影方法が変わる
- 2022年
- 「ていがくのさつえい」での撮影件数が累計200件を超える
- 2023年
- 妻が東京・大阪本社の商社に正社員採用 福岡支社に勤務 休日の撮影ではストロボなどのボランティアサポート
- 2025年
- 息子が福岡県福岡市の私立中学校に進学
- 2025年
- 会社名をNORMA(ノーマ)に変更 「ていがくのさつえい」を「私のカメラマン」に名称変更 家庭向け向け・法人向けにリリース
- 2025年
- 事務所を福岡天神フコク生命ビル15階に移転
- 横浜市立大学日本文学研究会
- 株式会社佐藤写真
- 日本証券業協会第一種証券外務員
- 青山経済人会 青山学院 OBOG 異業種交流 コミュニティ
- NHK(ニュースウォッチ9)、内閣府、自由民主党、国際連合、日本銀行、全日空、JAL、野村證券、大和証券、みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行、東京海上日動火災保険、三井住友海上、アクセンチュア、ボストン・コンサルティング、あずさ監査法人、デロイト・トーシュ・トーマツ・コンサルティング、日本IBM、東京電力、ソニー(αシリーズ開発班など)、ニコン、オリンパス、キヤノン、NEC、富士通、パナソニック、トヨタ自動車、NTTデータ、ソフトバンク、テレビ朝日、武田薬品工業、電通、博報堂、フジテレビ、テレビ朝日、住友商事、三菱商事、伊藤忠商事、サントリー、キリン、アサヒビール、味の素など多数 その他、俳優、ファッションモデル、宗教法人関係者、医師(開業医および勤務医)、看護師、理学療法士、介護士、保育士、公認会計士、税理士、弁護士、国家公務員、地方公務員、国会議員、地方市議会議員など多数